沿革
吉野囃子保存会
吉野地区は、江戸時代以前から宿場町・民族芸能に深い関わりがあり、笛・太鼓を始め、その道の名人がいたと伝えられているが、確かな記録はない。
古老の伝えるには、江戸後期に八王子より、旧小原の宿場と同じ山車を購入、高さ1米位の素盞鳴命(すさのうのみこと)の像を飾り、甲州街道を曳き廻し、囃子も吉野神社に奉納していた。
また、その頃から大正初期にかけて、八王子市小宮町(旧栗の須)から目黒囃子の師匠を招へいし、旧吉野遊郭に宿泊させ、その技法を伝授した。以来、戦後その他種々のことで盛衰があったが、昭和49年(1974年)4月、この道の識者を顧問として強力な保存会を結成した。
練習については、会員相互で連絡を取り合い、事前打ち合わせには細心の注意を払っている。また、子供連の参加が多いことは頼もしい限りである。なお、この地区は傾斜面に住居が点在している。そこで、昭和54年(1979年)に車両に乗せられる山車を作成し、傾斜面の住宅地を古い山車は国道20号線をと、祭礼には町内を賑わしている。
祭り囃子の流儀は「目黒囃子」を伝え、演奏曲目は「印播、早、鎌倉」で、演技は早→印播→鎌倉→早の順で行う。
太鼓・踊りの練習は、6月初旬より8月祭礼までの土曜日に行い、笛の練習は毎月隔週の土曜日または日曜日に行う。吉野神社もしくは吉野自治会館を練習場所としている。
祭礼等の出演状況ですが、8月14日、15日に開催される吉野神社の祭礼で祭り囃子を奉納、また吉野地区敬老会(敬老の日)、藤野地区の秋祭り、子供祭り、春祭り等で祭り囃子を披露している。